世に捨てられびと

いろいろあって世間から捨てられました。

お母さんごめんなさい。

母さん。

親不孝でごめんなさい。

こんなはずではなかったのに。

 

僕は全てにおいて今・・・

何もする気がおきません。

 

親が生きているうちは

死ぬことができない。

 

それが唯一の生きる動機です。

こんな人生を私は全く想像していませんでした。

 

死への不安は平等でしょうか?

どうも世に捨てられびとです。

 

昨夜はパニック障害に近い症状が出てしまいました。

悪夢は嫌です。これが続くと吐き気がやってきます。

厄介なことに嘔吐では済まされません。

 

一度吐しゃするとその後強烈な脱力感と全身のしびれ

そしてめまいようなもので立っていられなくなります。

それを考えれるまた不安になり、負のスパイラルへ。

 

ようやく楽になったのは明け方です。

この世から消されたほうがいい存在ですがそれでも

無くなるのは怖いですね。怖い。本当に怖い。

 

死んだらどこへ行くのでしょうか。

この怖いと思っている思いも無くなっていくのでしょうか。

そう考えると楽になるような。気もしますが。

 

自分が自分らしくさせているものの全てが無くなることへの不安。

この不安を何でカバーして人は生きていくのでしょうか。

お金?家族?仕事?それ以外の生きがい?

 

死に直面した時、それらのものは一切無力になるような気がします。

そんなことを考えると、歴史上死を前にしてもひるまなかった人たちが

まぶし思うのです。と同時に本当にひるまなかったのでしょうか?

 

業火に身を焦がされる時、熱かったはずです。刃が体を貫いた時

痛かったはずです。その時何を思ったのでしょうか。

 

神を信じたものが殉教者として最期を迎える時、意識が遠のく瞬間

神を見たのでしょうか。そもそも本当に強烈な痛みが走った時

理性よりも本能で全てを感じるのではないでしょうか?

 

ただそれは痛い、苦しい、そして絶望的な不安と恐怖。

その瞬間にそれまでのものは吹き飛ぶのでしょうか?

 

死は平等に人々の前にやってきます。人が必ず死ぬようできていることは

むしろいいことなのかもしれません。

そんな不安から解放されるのですから。

 

生きててごめんなさい。

刑務所にいると出来ないこと。

どうも世に捨てられ人です。

 

刑務所にいると

 

自由にトイレに行けません。

好きなテレビが見れません。

当然録画もできません。

 

本屋で好きな本を目の前で立ち読みすることができません。

好きな食べ物を食べることができません。

昼間寝ることができません。

 

急に思い立ってどこかへふらっと出かけることができません。

誰かと電話をしたり、訪ねることもできません。

 

虫歯の治療も雑です。

海や川で泳ぐことができません。

 

酒を飲むことやたばこを吸うことができません。

お金を稼いでそれを自分のものとしてすぐに使うことができません。

 

風呂に気が済むまで長くつかることができません。

クーラーの前で全裸で涼むこともできません。

 

試合を直接観戦して応援したり、感動を分けてもらうことが

できません。

 

パソコンの前でだらだら、情報をあつめることはできません。

誰かにメールをしたり、コメントをタイムリーにすることはできません。

 

パチンコや麻雀でワクワク、がっかりすることができません。

女性とお話をすることができません。

 

大きな声で叫んだり、誰もはばからず泣くこともできません。

 

夕陽や朝陽を好きな場所から眺めることができません。

山や海を好きなだけ見ることができません。

 

雨を体で存分に感じることができません。

 

普段普通にできることができなくなること。それが不幸なのでしょうか。

 

逆に普段できる当たり前のことを

一つ一つ味わっていくことが

幸せなのでしょうか。

 

幸せと感じているその瞬間がすぐに過去の

ものとなって、自分の中には何も残らないのです。

 

ただただ時が流れていきます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

不幸な人は幸いです。

どうも。世に捨てられびとです。

 

不幸な人生を歩んでいる人は幸いです。

死に際に思い残すことが少ないでしょう。

 

あまりに幸福で、うまくゆき過ぎた人生だと

死ぬ時の喪失感は計り知れないでしょう。

 

今持っているものが、永遠に自分のものとして

側にあることはあり得ないのです。

 

 

 

 

2018年大河ドラマ「西郷どん」に決定。「飛ぶが如く」のイメージを変えてくれるのでしょうか。

どうも。世に捨てられびとです。

 

2018年の大河が西郷隆盛に決まった

そうですね。一時、堤真一が西郷役

に内定との報道がありましたが、ま

だ未定のようで。

 

西郷という一種の「神格化」された

人物を演じるというのは非常に難し

いことだと思います。

 

彼は業績もさることながら、人格で

当時の人々を魅了してきたわけです

から、醸し出す雰囲気というのが非

常に重要なファクターになるのでは

と思います。

 

昔、司馬遼太郎の「飛ぶが如く」が

大河で放送されましが、その時の西

郷役(西田敏行)の印象が非常に強

く残っています。

 

そして大久保は鹿賀丈志。このコンビ

は最強だった気がします。

 

当時まだ私は幼く、世にも捨てられず

にヌクヌクと舐めた人生を送っていま

した。そんな私の記憶の中に強く印象

づけられているということは、よほど

迫力があったのでしょうか。

 

西郷にしても大久保にしても無念な最

期であった思います。西郷の後半は絶

望との戦いであったと勝手に理解して

います。明治政府に絶望した彼は、こ

とあるごとに死に場所を探していたよ

うに見受けられました。

 

大久保暗殺は、石川県士族らの一方的

な激情によって、無残に切り殺された

まさに暴挙であったとされています。

 

この二人の死に際。

最期はどのような心境だったのか。

想像するだけで、胸が苦しくなります。

 

2018年の大河でもこのあたりを、丁寧

に扱ってほしいと心より願っています。

 

いづれにしても、2018年が楽しみです。

そこまで生きることが許されていれば

の話ですが。

 

生きていてごめんなさい。

 

 

国盗り物語読了

どうも。世に捨てられびとです。

 

国盗り物語」の最後の数ページ

をずっと読まずに放置していました。

 

理由は単にお別れしたくなかった

からです。

 

物語、特に歴史人物に焦点を充てた

伝記ものはその人物の死に際が最後

になることが多いです。

 

私のような世に捨てられ者は、本の中

に話相手を求めていることが多いので

お別れするのに、少しエネルギーがい

ります。

 

光秀とはお別れしたくなかったですね。

それでも次の物語が私を待っているの

で、泣く泣くお別れです。

 

無念で終わる人生。深くて、せつなくて

そして落ち着きます。

 

生きていてごめんなさい。