世に捨てられびと

いろいろあって世間から捨てられました。

世に捨てられ人 ねんきんネットで戦慄

どうも。世に捨てられびとです。

 

年金ネットというサイトで私が65歳

からいただけるであろうと思われる

金額を試算してみました。

 

年間40万弱だそうです。

月額4万にも満たない数字です。

 

計算方法はこれでいいのでしょうか。

何度も試算してみましたが、同じ

数字が出てきます。

 

これで生きていけるのでしょうか。

世に捨てられ人の苦悩は死ぬまで

続きます。

 

生きててごめんなさい。

謝罪にも格差 本当の地獄とは何でしょうか。

どうも。世に捨てられびとです。

 

高畑淳子さんお疲れ様です。謝罪の

様子一部ですが拝見させていただき

ました。

さすがですね。ここ数日が最も苦し

いはずですが、みごとに耐えていら

っしゃる。

 

サウンドバックになるのを覚悟で、

息子の前に立ちはだかる。それが

例え敗戦処理であっても。

 

この一連の事件はあってはならな

いことですが、淳子さんの謝罪会

見や行動は安っぽいドラマよりも

ドラマチックでした。

 

ただ思うのです。淳子さんが壁に

なってくれるこの息子はまだ幸せ

です。

 

示談に被害者が応じるかどうかわ

かりませんが、資金は十分あるで

しょう。

 

淳子さんのおかげで周りの人も陰

ながら、様々なサポートをこの親

子にするでしょう。

 

しかし一般人がこのような事件を

犯したら、そのまま社会で抹殺さ

れ、頼る人も皆無、身内からも縁

をきられるでしょう。

 

後は孤独な廃人のような生活が待

ってまいす。生きているのか死ん

でいるのか本人も分からないよう

な生活です。死んだほうがはるか

にましかもしれません。

 

このような状態から自力で道を切

り開き、何か事をなすことができ

る人は限りなく少ないでしょう。

 

この息子は親が代わりに謝罪し、

これからも見守ってもらえるだけ

恵まれています。

 

それでも間違いなく言えることが

一つあります。

 

この息子の本当の地獄は今ではあ

りません。淳子さんがこの世を去

った後です。

 

こんなことを思っている私・・・。

生きていてごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

舛添祭りの後味。猪瀬元都知事さん。そりゃないですよ。

どうも。世に捨てられびとです。

 

はあ・・・。舛添祭りの余韻を残し

つつも、その祭りのうまみを十分に

 取り込んだ小池さんが都政で頑張っ

ておみえです。

 

舛添さんがこちら側に来てくれて、

私も心強いです。一度世間から捨て

られると、どう生きていけばいいの

苦しみます。そもそも生きていてい

いのか迷ってしまうものです。

 

俺は違うと思っているかもしれませ

ん。でも同じですよ。無理はいけま

せん。

 

ところで、猪瀬さん。私は猪瀬さん

がまさかこの機に乗じて現れるとは

思いませんでした。

 

いけません。猪瀬さんはこちら側の

人間です。火事場泥棒のようなマネ

はやめましょう。

 

自分が炎上したときの苦しみが、舛

添さんにそのままいっています。

その苦しみは猪瀬さんにしか分から

ないはず。

 

沈黙して、ほとぼりがさめたころに

優しく舛添さんにコンタクトをとっ

たらいかがですか。

 

作家であれば案外そんなところに新

たな創作のネタがくるかもしれませ

ん。

 

いつものように世に捨てられ人の戯

言です。

 

生きていてごめんなさい。 

 

夕日のなかで接吻。身動きの取れない世に捨てられ人。

どうも。世捨に捨てられびとです。

 

まだ昼間の暑さが残る夕暮れ時。

駐車場の車の中で「ボー」と夕日を見

ていたら、すぐ側のアパートから若い

カップルが出てきました。

 

男性は猫背がやや気になりますが、ス

ラリとした長身。黒縁の眼鏡が似合う

インテリな感じのナイスガイ。

 

女性はその男性の肩にも届かない小柄

な体型で、一生懸命視線を上げて優し

く男性に微笑みかける今時の女の子。

 

男性だけどこかへ出かけるのでしょう

か。女の子は道路から見送っていまし

た。その姿が何ともいじらしい。

 

そこまでは、ありふれた?風景なので

すが、その後、彼女は「トットットッ」

とその男性を追いかけ後ろからハグ。

 

男性は振り返り、その流れで接吻。そ

う接吻です。幸い?にも周りには人が

おらず、すぐ側にいた私は車の中。

 

しばらくその光景が夕日の中で続きま

した。二人だけの甘い時間。私は一台

の車に取り残された置物。

 

たまたま窓ガラスが開いていたので、

車内はまだ大丈夫でしたが、それで

もムシムシした車中で、変な汗をか

いてしまいました。

 

車から出たら、音でこちらを見られ

てしまう。でも私は別に悪いことし

ていないし。とにかく静かに事の次

第を見守る?しかない。ヘタレな私

はいろいろな思いが頭の中でめぐら

せました。

 

カップルと私のこの微妙な距離は、

ロングショットで見たら、なんだか

おかしな光景であったことでしょう。

 

人生の敗者である世に捨てられ人の

私。これからしばらくは人生の喜び

を謳歌するであろうこの二人。

 

この二つの間には、その距離だけで

は説明のつかないもっと大きな断絶

があったはずです。

 

夕日がきれいでした。

 

私はすでに世に捨てられ人。

多くを望む資格はございませぬ。

 

生きててごめんなさい。

 

 

国盗り物語(斉藤道三・織田信長・そしてやはり現実逃避②)

 

どうも。世に捨てられびとです。

外は雷です。雷雨は夏の風物詩?

なのかもしれませんが

臆病者の私は屋内でやっぱり

読書してしまいます。

国盗り物語・・・。

まだまだ夢中です。

 

明智光秀のような役回りで、人生を送った人は

無数にいるのではないでしょうか。

国盗り物語の面白いところは光秀に対する作者の

優しさが所々に散見されるところです。

 

信長の天才性は誰もが知るところですが

その迷いの無い、強者の生き方に戸惑う光秀の繊細さが

気味が悪いほどリアルに描かれています。

 

追い詰められた光秀がだんだん壊れていく様子は、

私のこれまでの日常にリンクすることが多く

思わず同情的な視点で光秀の行動を追ってしまいます。

 

「仏のうそは方便といい、武士のうそは武略という。

百姓のうそは美しく装飾しようにも装飾する名分がない。

世に百姓のうそほど可愛いものはない」

 

百姓の不義に対してもこのような優しいまなざしを

もつ光秀が、苦し紛れに引き起こした本能寺の変

 

そのわずか数日後に信長の居城である安土城

「私は、ここで孤(ひとり)でいる」

と世間から取り残されている心情を吐露しています。

 

追い詰めらて、孤独で、無念で苦しかったのでしょうね。

この胸が締めつけられるような感覚。

 

世に捨てられ人の私としては時代を超えて

光秀のことにしばし意識を奪われてしまいました。

 

約400年も後に生まれたこのようなクズのような

わたしですが、ここで光秀さんを思っています。

 

こんな私こそ

生きていてごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

鼻血と自意識過剰

どうも。世に捨てられびとです。

 

暑い日が続いています。「うだる」ような暑さです。

「うだる」とはどんな状態なんでしょうか?

いまいち分かりませんが

とにかく「うだる」んでしょう。

いつか「うだっている」人を見てみたいです。 

 

ところでこうも暑いと鼻血が出てきます。

夏になると昔からよく鼻血が出ました。

 

若いときは、このまま自分は死ぬんでないかと

まさかの救急車を要請する衝動にかられました。

それも一度や二度ではありません。

気の小さい私には怖くて仕方ありませんでした。

 

血管が膨張して、耐え切れず突然吹き出るのでしょうか。

やっかいな鼻です。

 

自宅では金銭面での事情により

クーラーは最小限しか使用できません。

鼻血と冷房の際どいバランスの中で

毎年夏をやり過ごす世に捨てられ人です。

 

一方職場では、幸い室内で仕事をすることが多いので

クーラーを存分に使わせていただいております。

 

そのためか今のところ、鼻血で救急車を呼ぶという

ふざけた事態にはいたっていません。

クーラー様様です。

 

いい年して職場でティッシュを鼻に突っ込んで

いる姿なぞ見せられません。私は静かに、そして

常に話題の中心にならないように生きています。

 

これは対人恐怖症の一種なのでしょうか。

自意識過剰であることは間違いないかもしれませんが

正確には自意識過剰のだけでなく

人と関わりが深くなるほど、時々その人の本性を見て

怖くなってしまうというやっかいな思考がいつも

どこかにあるのです。

 

それは少なからず、今までに人から受けた傷が

影響していることは否めません。

 

こんなヘタレな私です。

生きていてごめんなさい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

情報番組の司会者やコメンテーターたちと世に捨てられ人

どうも。世に捨てられびとです。

 

世間では大型連休やリオなどで

日々盛り上がっていますが、

零細企業の日陰者として毎日

存在感を消すように、消すように

働いている私としては

そんな方々がまぶしくてたまりません。

 

私のところの連休なんぞたかが知れていますし

それにたくさんの休みをいただいたところで、

どのように消化していいのか戸惑うと思います。

 

おそらく得意の現実逃避=読書をして

時間をつぶすのが関の山でしょう。

 

もちろんテレビの存在ははずせません。

 

ただ単に寂しいからという理由で、BGMの代わりに

テレビを重宝するようになって四半世紀が経ちました。

 

おそらくこのBGMはこれからも私の寂しさを

ある程度やわらげてくれることでしょう。

 

ただ最近の情報番組は、BGMとしてはいささか

耳障りなものが目立ちます。

 

 コメンテーターのセリフがなんだか軽いといいますか

全然耳に素直に入ってこないんですよね。

 

司会者のセリフもなんだか個性が強すぎて、

特に誰かを責めるときの得意げなあの表情は気持ちが悪いです。

 

本人たちは正義で、世間の代表で、そして何よりも人ごとなのでしょう。

その責めぶりはコンクリートの壁のような冷さを感じます。

 

私は世に捨てられ人。この人たちとはこれからも

テレビの画面を通してからしか関わらないでしょう。

本当に良かったです。 

 

とにかく生きていてごめんなさい。